谷口房蔵と歴史館

郷土のために捧げた人生

館の建築者である谷口房蔵たにぐちふさぞう氏(大阪合同紡績㈱元社長)は明治から大正時代を通じて関西繊維業界の中枢を担い、「綿の国から生まれた綿の王」とまで称された人物です。氏は1861年(文久元年)、泉州日根野郡吉見の里(現泉南郡田尻町大字吉見)に生まれました。


氏が15歳の時、父の人助けで家計が苦しくなり親戚である紋羽問屋に引き取られ、ここで以後の人生を大きく変えていく木綿と出会います。


34歳の時、たまたま株を所有していた明治紡績の経営を再建し、これをきっかけに次々に中小紡績所の建て直しにあたるようになります。


1900年(明治33年)大阪合同紡績株式会社を創立し、さらに1906年(明治39年)には、豊田佐吉氏を支援、豊田式織機株式会社を創立して社長に就任しました。


創業当時の大阪合同紡績株式会社

1900年頃の大阪


こうして房蔵氏は田尻町にも吉見紡績を設立、インドより原綿を仕入れる為、港(現田尻漁港)を浚渫し道路を整備。教育の重要性を痛感し幼稚園・小学校などの教育の為の費用などを負担。町財産を支援し鉄道の重要性にいち早く気付いて阪和線(旧阪和電気鉄道)の導入に尽くし、大阪倶楽部、綿業会館の設立にも尽力、日本棋院の創設など様々な分野において貢献しました。

受け継がれた房蔵の精神

死後、遺言で残された百萬円(今日の貨幣価値でおよそ50億円)が谷口財団として70年間、ご子息の豊三郎氏に受け継がれ、すばらしい研究をされた湯川秀樹氏他ノーベル賞、文化勲章受賞者等々を中心に何の見返りも考えられず、焼け野原の日本に脈々と助成金を出し続け日本を支えられたそうです。


その精神を京セラの稲盛財団が引き継がれたという嬉しいニュースを知り、田尻町を代表するこのすばらしい人物が建てられた田尻歴史館(大阪府指定有形文化財)の重みを感じられずにはおられません。


田尻歴史館

庭園から見た現在の田尻歴史館

郷土のシンボル田尻歴史館

ステイタスシンボルとして建てられた洋館の横に、日常生活のための和風住宅が設けられ、ヨーロッパ・スタイルの洋館と伝統的な和館が見事に調和しています。


特にインテリアでは、至る所に使われているステンドグラスが必見です。また、設計者は今のところ不明ですが、建築学上非常に高い評価を有するものです。建物そのものが美術品といっても過言ではありません。


田尻の発展のシンボルである紡績工場を見晴らしていた洋館は、現在も昔の姿のまま建っています。

生まれ変わった田尻歴史館

平成18年3月27日から5月25日にかけて、下記施工業者のご協力のもと、塗装・畳入替・障子張替・火災報知器増設・空調設備設置・庭園手入等、全面的な改修工事を行い、同5月27日にリニューアルオープンいたしました。


リニューアルオープンセレモニーでのテープカット

リニューアルオープンセレモニー

改修工事施工業者

  • 森本塗装店(塗装)
    河内長野市木戸町1-46-11
    TEL:0721-53-1666
  • 吉田電機設備(空調)
    藤井寺市北岡2-12-1
    TEL:072-952-3543
  • 城陽ダイキン空調(空調機器)
    大阪市東成区玉津1-10-30
    TEL:06-6972-8265
  • 中庄緑化(庭)
    泉佐野市中庄1511-13
    TEL:072-461-1603
  • 松山畳店(畳入替)
    羽曳野市伊賀1-1-17
    TEL:072-954-3030

沿革

大正11年
谷口房蔵が別邸として建築
昭和19年
大阪機工(株)取得
昭和43年
辻野常彦氏取得
平成05年
田尻町取得
平成08年
登録有形文化財に指定
平成17年
大阪府指定有形文化財に指定
平成18年
近畿綜合メンテナンス株式会社

(現:株式会社アスウェル)が指定管理者となる

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